http://shikakenin.blog.shinobi.jp/%E6%97%A5%E8%A8%98/2011%E5%B9%B43%E6%9C%8811%E6%97%A5%E3%81%AE%E3%82%8F%E3%81%9F%E3%81%97%EF%BC%88%E6%9D%B1%E6%97%A5%E6%9C%AC%E5%A4%A7%E9%9C%87%E7%81%BD%E3%83%BB%E5%BD%93%E6%97%A5%EF%BC%892011年3月11日のわたし(東日本大震災・当日)
2年前に発生した、
東日本大震災当日の自分の記憶があいまいになりつつあったので、自分の行動を記録するためにこの項を起こした。
3月11日(金)、3月14日(月)の2日を振り返る。
12日(土)、13日(日)は今ではほとんど思い出せない。
14日(月)は通勤するつもりであったが、最寄駅に電車が朝から1本も運行しないとは思ってもいなかった。
今回は3月11日を振り返る。
私の3月11日は休日であった。
SBI証券で午前9時から発売される、「SBI債」を購入するため、3月10日の休暇を変更していた。
もし時間があったら、
maneoで運用した資金を振込手数料ゼロで引き上げるため、
東京三菱UFJ銀行の
銀座支店に口座を作る予定だった。
9時前に起床。
PCを立ち上げ、SBI債を買おうとしたが、「売り切れ」になっていた。
どこかに出かけるのも面倒くさいと思い、銀座に行くのはやめた。
朝食を食べた。
洗濯物を干した。
新聞を読んだ。
PCを立ち上げ、メールを確認し、いつも見ているサイトを見た。
昨夜、入浴していなかったので、風呂に入った。
風呂から出て、居間の長椅子でパジャマでくつろいでいた。
昼食は何にするかを考えていた。
水虫薬を足に塗り終わったときが「14時46分」だった。
"ダーラン ダーラン"
「大地震です。大地震です。」
緊急地震速報が流れた。
長い時間の縦揺れと横揺れが2分ほど続いた。
私は最初、長椅子に座っていた。
居間の液晶テレビが大きく揺れていたので、立ち上がって、テレビの前に行き、テレビを支えていた。
台所で皿が割れる音が聞こえ、居間に掛けてあるジグソーパズルの額が大きく揺れ動いた。
揺れが収まった。
台所の戸棚を開け、小皿が一枚割れていた。それを棚から取り除いて、ゴミ入れに入れた。
固定電話が鳴ったので、受話器を取った。
父が会社から電話を掛けてきた。
家がどうやら無事であることと、皿が割れたことをとりあえず伝えた。
「○○さん」
外から近所の人の声が聞こえた。
2階に上って、窓から外を見ると、車が車庫から道路に出ていた。
それから、門柱が倒れ、そのブロックが道路に散らかっていた。
外に行き、それらを片づける旨を伝えた。
パジャマから上にシャツ、セーター、下はジーパンという格好に着替えた。
車のキーを取って、外に出て、車を車庫に戻した。
倒れた門柱のブロックが思いのほか、重かった(どうやら1つの塊で50キログラム以上あった)ので、道路の端に寄せようとしたが、断念した。
昼食を食べておらず、お腹がすいたので、近くのコンビニに弁当を買いに行った。
コンビニも酒が棚から落ちたのか床が濡れていた。
帰宅途中で緊急地震速報が流れた。
余震があったのだが、歩いていたのでそれほど大きな揺れとは感じなかった。
家の近くにくると、向かいの家の方が外にいたので挨拶し、大きな地震だったと話していた。
家の方から
「あんちゃーん、どこにいるの」
と大きな声が聞こえた。
線路の向こう側で勤めている、バイト先を15時で終えて帰ってきた妹だった。
妹は家の玄関を出て、向かいの家の外で話している私を見つけ、
「心配させないでよ」
と言った。
家に入り、妹のバイト先での地震が起きた時の話を聞いた。
道路に倒れている門柱のブロックの処理を便利屋に相談するか、妹と話した。
外に出て、道路にあるブロックを動かそうといろいろやっているところにお隣の亭主が帰ってきた。
「○○さん、私がやりますよ。危ないからそこで見ていなさい」
すごい力で、ブロックを持ち上げ、道路の端に置いた。
「ありがとうございました」と何度も隣の亭主に礼を言った。
翌日、お礼に菓子を隣の家に渡した。
私の机の棚にあった封筒が全部落ちた。
棚に戻すと、余震でまた落ちると思い、封筒をダンボール2箱に立てておいた。
隣町に勤めている、父から電話がきた。
電車もバスも動いていないから、「車で迎えにきてほしい」。
車で国道を進んだが、渋滞でスムーズには動かなかった。
たくさんの人が歩道を歩いていた。
電車が動かないので、歩いて家路につく人たちだった。
なんとか父の会社に車でたどりつき、父を車に乗せた。
帰り道は国道ではなく、車の通りが少なめの県道を選んで、途中のコンビニで弁当を買い、家に着いた。
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